東京地方裁判所 平成8年(ワ)7329号 判決 1997年12月18日
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 原告の請求
被告は、原告に対し、金3,339万円及びこれに対する平成8年5月2日(本件訴状送達目の翌日)から支払ずみまで年5分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、被告から、隣地との境界について指示を受けた上で一定の面積を有するものとして土地を買い受けた原告が、当該土地には右隣地所有者の土地が一部含まれており、購入土地の減少が判明したなどとして、売買の目的である権利の一部が他人に属し、あるいは指示された面積が不足することを理由として、被告に対し、代金減額の請求をしたという事案である。
一 争いのない事実など
1 原告は、平成2年6月11日、被告から、被告所有の別紙物件目録一<略>の土地(旧137番1。以下「原告土地」という。その後、同土地は、平成5年4月13日に137番1と同番11の2筆に分筆された)を、実測面積68.90平方メートルと表示した上、これを基礎として1坪当たりの単価900万円の割合に基づいて代金総額1億8,758万円と定めて買い受けた(以下「本件売買」という)。
2 原告は、右購入の際、被告から、原告土地とその南側において甲田太郎(以下「甲田」という)が所有する別紙物件目録二<略>の土地(以下「136番1の土地」という)との境界(以下「本件境界」という)は、別紙図面のイロハの各点を結んだ直線であるとの説明を受けた。
3 甲田は、平成3年4月頃、本件境界はイロホニの各点を結んだ直線であるとして、右線上にブロック塀を建築した上、ロホニハロの各点を結んだ線で囲まれた土地(以下「本件土地」という)は136番1の土地に属すると主張するに至った。
4 そこで、原告は、本件境界はイロハの各点を結んだ直線であり、本件土地は原告土地に属するとして、甲田を相手方として、当庁に対し、平成3年11月にブロック塀撤去等を求める旨の仮処分を申請した上(<証拠略>)、同年12月に右と同旨の訴え(以下「別件訴訟」という)を提起したところ、右訴訟では、本件境界についての原告の主張は認められず、平成6年11月28日に原告請求を棄却する判決が言い渡され、平成7年9月13日に控訴棄却となり、さらに平成8年3月5日に上告棄却となり、結局、右訴訟は原告敗訴によって確定した(<証拠略>)。
二 争点
1 本件境界の位置
(原告の主張)
(一) 本件境界は、イロホニの各点を結んだ直線である。
原告は、本件売買の際、被告から、本件境界はイロハの各点を結んだ直線であるとの説明を受け、これを信じて原告土地を購入したものであり、別件訴訟においてもその旨を懸命に主張立証したのであるが、同訴訟では終始これが否定され、ホニの各点を結んだ直線が境界であるとされ、本件土地は136番1の土地に属するものと確定されてしまったのである。
被告が本訴においてイロハの各点を結んだ直線が本件境界であると主張する事情は、いずれも別件訴訟において既に否定されたものであり、失当である。
(二) したがって、本件売買については、権利の一部が他人に属し、あるいは指示された数量が不足するものであるから、原告は被告に対し、売買代金の減額を請求することができる。
(被告の主張)
(一) 本件境界は、イロハの各点を結んだ直線である。
甲田による前記ブロック塀の建築は、本来の境界線を越えて行われたものであり、原告が、原告土地を購入した後にこれを更地化した際、境界塀を設置したり、仮囲いを設けたりするなど不動産業者として当然に行うべき境界保全の措置を怠ったため、甲田によって土地侵奪が行われる結果となってしまったのである。
(二) ハ点には、コンクリート杭が存在するところ、甲田は、昭和56年12月の現地立会いの際、当時の原告土地の所有者乙村正一(以下「乙村」という)との間で、山谷司土地家屋調査士(以下「山谷」という)立会いのもとで、右杭をもって本件境界とすることを合意したし、また、被告の亡夫佐藤一男が昭和28年に原告土地を借地してから昭和59年11月に乙村から同土地を購入した前後の期間を通じて、被告ら家族は、本件土地上に家業の製麺業のダンボール箱を置き、その後、昭和59年4月に136番1の土地上に甲田ビルが建築された後も、イロハの各点を結んだ線の付近につげやおもと等の樹木を植え、ハ点の杭の少し北側には境界標になるものとして紅葉の木を植えた上、敷石を設置するなどして本件土地を通路として使用していたが、その間、甲田が抗議したことはなかった。
(三) そして、別件訴訟では、右のような事情が存在したにもかかわらず、被告の長女田村冬子の不十分な証言と、右通路奥の様子を写した証拠写真につき、石塀様のものが写っているとの誤った判断が前提とされて、原告敗訴の判決が言い渡されてしまったのである。被告は、第二審判決後の平成7年11月10日に至って初めて、原告から、第一審及び控訴審の判決結果を知らされたにすぎず、被告の十分な関与さえあれば、右訴訟において原告が敗訴することはなかったはずである。
2 担保責任不追及の合意の成否
(被告の主張)
原告と被告間では、別件訴訟の係属中に、原告が被告に対して訴訟追行についての協力を求めた際、被告に対して本件売買について売主の担保責任を追及しない旨の合意が成立した。
(原告の認否)
被告の右主張は争う。
3 代金減額請求権の消滅の有無
(被告の主張)
(一) (除斥期間)
原告主張の代金減額請求権は、民法564条により1年の権利行使期間の制限を受けるところ、原告は、原告土地の引渡を受けた平成2年8月8日の時点でこの権利を行使し得たから、その後1年をはるかに経過した後に提起された本訴においては、右権利を行使することはできない。
(二) (消滅時効)
また、右代金減額請求権は、一般の債権と同様に消滅時効にかかるものと解すべきところ、原告の右請求権は、商行為による債権として、右引渡時からこれを行使し得たものであるから、この時点から起算して5年の経過をもって消滅したと解すべきである。
被告は、本訴において右消滅時効を援用する。
(原告の認否)
被告の右主張は争う。
なお、民法564条にいう「買主が事実を知った時」とは、権利の一部が他人に属することを知っただけでなく、売主においてその権利を移転することが不能となったことを知ったときと解すべきである。
4 信義則違反の有無
(被告の主張)
原告は、前記1で主張したとおり、自己の落ち度により、甲田から原告土地の侵奪を受けたものであるところ、別件訴訟においては、原告は本件境界について被告の本訴における主張と同一内容の主張を行い、被告に対しては絶対に迷惑をかけないとの約束のもとに、被告から資料の提出を受けたり、被告の長女田村冬子の証人尋問実施の協力を得たりしていたのである。
それにもかかわらず、原告は、第一審で敗訴してもその結果を被告に報告せず、その間、訴訟告知の手続も採らず、被告に対して攻撃防御の機会を与えないまま訴訟を進め、敗訴判決が確定するや、本件売買後既に5年以上が経過しているのに、手のひらを返すにようにして本訴を提起してきたものであって、このような経緯に照らせば、原告の本訴請求は信義則に違反し、到底許されない。
(原告の認否)
被告の右主張は争う。
5 減額されるべき代金額
(原告の主張)
原告は、本件土地が前記のとおり136番1の土地に属するものとなったため、購入土地の面積が12.26平方メートル(3.71坪)減少することになった。よって、原告は被告に対し、本件売買における1坪当たりの前記単価に応じて3,339万円の代金減額を請求することができる。
(被告の認否)
原告の右主張は右争う。
第三 当裁判所の判断
一 本件境界の位置について
1 <証拠略>及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の各事実が認められる。
(一) 二点の杭の設置状況
昭和28年6月30日、当時の137番1の土地及び136番1の土地の西側に隣接する旧135番の土地が同番1ないし3に分筆され、同番2の土地を丙野智が、同番3の土地を田中一郎が、それぞれ売買により取得した。
その際、丙野は、右137番1の土地と136番1の土地との境界線を西側に延長した線をもって旧135番の土地を分割するとの話をしており、当時の137番1の土地の所有者乙村太一及び136番1の土地の所有者甲田二郎が立ち会って、二点に、頭部に十字の刻みのある境界杭が埋設されることになった。
(二) 公図の状況
右のとおり、旧135番の土地が分筆された後の公図においては、135番2の土地と同番3の土地との境界は、イニの各点を結んだ直線の延長線とされている。
(三) 本件土地の使用状況
被告の亡夫佐藤一男は、昭和28年に原告土地を借地してから店舗兼居宅を建築し、家族とともに居住して製麺業を営み、原告土地の東側に建物を建て、西側に乾麺の干場を設けていたが、その後西側に向かって増築を繰り返した。
右被告の建物と136番1の土地上の借地人らの建物との間には、東西にわたって細長い土地が存在し、もっぱら被告ら家族がこれを通路として使用し、その西端においては簡易物置を設置して使用していたほか、地下には被告建物の下水管を埋設していた。なお、同土地付近においては、本件の境界であることを明確に指し示すような塀や囲い等は存在しなかった。
一方、甲田側では、甲田の祖母が係争土地周辺に居住していたくらいで、甲田自身は同付近に居住したことは一度もなく、右通路部分も、136番1の土地上の建物に居住する借地人らの関係で、便所の汲取り等に使用される程度であった。
そして、昭和27年頃から136番1の土地の西側部分を借地していた中谷五郎は、二点辺りが境界であると考えていた。
その後、甲田は、昭和59年4月頃に136番1の土地上に前記の旧建物を取り壊して甲田ビルを新築したが、原告が平成2年6月に原告土地を購入した後にこれを更地化した結果、甲田ビルの北側部分がむき出しの状態になったため、平成3年4月頃、前記のとおりロホニの各点を結んだ線上にブロック塀を建築した。
なお、被告ら家族は、甲田ビル建築後、右通路部分に樹木を植えるなどしていたが、右ブロック塀建築工事の際、甲田の依頼を受けた工事業者が、数本の樹木を撤去してその付近に移植したことがあった。
(四) ハ点の杭の設置とその後の状況等
昭和44年5月、当時の136番1の土地を家族とともに共有していた甲田は、同土地から同番3の土地を分筆してこれを高橋一人に売却する必要上、海戸田土地家屋調査士に依頼して測量を行ったが、当時の137番1の土地の所有者である乙村側に対して本件境界の確認を求めたところ、乙村側からは、同土地の面積や公道からの距離の状況等を理由として、ハ点が境界点であると主張してきたため、右売却を急ぐ関係上、ハ点にコンクリート杭を設置させることとした。
その後、乙村側の依頼を受けた山谷は、昭和56年10月、当時の137番1の土地等を合・分筆するために測量を行ったが、ハ点とニ点のいずれを136番1の土地との境界点とするかについては、乙村側からの前記の主張内容のほか、ハ点は135番2の土地と同番3の土地との境界とは無関係のものであり、このハ点こそが本件境界点に該当すると判断し、ハ点をもって本件境界の西端であると考えて、測量図を作成した。
その際、山谷は、2度にわたって甲田の立会いを得たが、1度目には、甲田からハ点が本件境界点となることの了承を得られなかったが、2度目の立会いを得た後には、その了承を得たものとして右測量手続を終えた。
2(一) 以上の認定事実に基づいて考えると、ハ点にコンクリート杭が設置された経緯は前記のとおりのものにとどまり、その設置時において必ずしも十分な根拠に基づいてされたものとはいい難いのに対し、二点については、その設置経緯や公図の記載内容に照らし、本件境界として設置された蓋然性が高いものと認めるべきである。
(二) この点、山谷は、前記測量において甲田から2度目の立会いを得た際に、同人から、ハ点が本件境界点であることの了承を得た旨証言し、<証拠略>にも同旨の部分があるが、土地の合・分筆に当たり隣地所有者の立会いを得て正式に境界(筆界)を確認した場合には、隣地所有者との間で境界確認書等を取り交わすのが通常であると考えられるところ、本件ではそのような手続は全く採られていないばかりか、その後に、甲田がロホニの各点を結んだ線上にブロック塀を建築したことからすると、甲田が山谷の証言するようにハ点をもって本件境界点とすることを了承していたものとはにわかに考え難いところである。
したがって、右山谷証言と同趣旨の乙村証言や<証拠略>の記載内容もまた、右と同様に直ちには採用できないものである。
また、被告は、山谷証言や乙50号証の記載内容に従って、本件の公図の信用性に疑問を呈しているが、甲40号証によると、そもそも、山谷自身、前記135番2の土地及び同番3の土地の境界線と本件境界線とは一致しないものとしていながら、その一方で、平成2年5月に甲40号証を作成した際には、これらの境界線を同一直線とする地積測量図を作成し、公図と同一内容の記載をしていたことが認められるのであって、こうした事情に照らしてみても、山谷証言には信用し難い点が少なくないのである。
さらに、被告は、前記通路部分の使用状況に関し、<証拠略>等の写真類を証拠として提出し、これらの内容を詳細に分析しながら、被告ら家族によるかつての右使用状況等を明らかにするとともに、通路奥に写り得る塀や樹木の様子等を明らかにしようとするが、右各証拠によっても、その通路部分が被告主張のような態様で使用されてきたことが窺われるにとどまり、これらの証拠だけから直ちに、この付近に居住していなかった甲田が、イロハの各点を結んだ直線をもって本件境界であることを容認してきたとか、それが真実の境界線であるとの事実を認めるまでには至らないというべきである。
そして、被告ら家族が紅葉の木を本件境界標としてハ点の杭の少し北側に植えたとする被告の主張及びこれに沿う被告本人の供述や<証拠略>等の記載内容については、平成3年4月頃の前記ブロック塀建築工事の際に、右樹木を引き抜いて他に移植したとする内藤謙の証言内容(<証拠略>)に照らすと、直ちに被告の主張どおりの事実を認定することば困難であるといわなければならない。
(三) 以上のとおり見てくると、本件境界は、前記イロホニの各点を結んだ線であると認めるのが相当であり、被告の指摘するその他の事情をもってしても、右認定判断を左右するに至らないというべきである。
3 そうすると、本件土地は原告土地には含まれておらず、136番1の土地に含まれるものと認められるから、原告が本件売買により被告から購入した原告土地については、本件土地に相当する部分が他人の権利に属しており、あるいは指示された面積に不足があったものといわなければならない。
二 被告の抗弁について
1 担保責任不追及の合意の成否
被告は、別件訴訟の係属中に、原告との間で、原告が被告に対して本件売買について売主の担保責任を追及しない旨の合意が成立したと主張する。
しかしながら、本件証拠上、別件訴訟の係属中に、原告が被告に対して右担保責任を追及しない旨を約した事実を認めるに足りる的確な証拠は存しないから、被告の右主張は採用できない。
2 代金減額請求権の除斥期間による消滅
(一) 原告の本件代金減額請求は、民法563条又は565条に基づくものであるところ、同法564条によると、売買の目的たる権利の一部が他人に属し、あるいは数量を指示された売買の目的物に不足があるときにおいて、善意の買主はこれを知ったときから1年以内に限り右権利を行使することができるとされている。
そして、右善意の買主についての除斥期間の起算点については、当該買主が、売買の目的たる権利の一部が他人に属すること、あるいは目的物の数量に不足のあることを知り、売主においてその権利ないし不足分の物を取得して買主に移転することが不能となったことを知った時点と解するのが相当である。
(二) これを本件についてみると、<証拠略>によると、原告は、平成2年6月の本件売買契約締結後、同年8月8日頃に被告から原告土地の引渡を受けたことが認められ、そして、その後、甲田が、本件土地が136番1の土地に属するものとして、平成3年4月頃にブロック塀を建築したこと及びそのため、原告が甲田を相手方としてブロック塀撤去を求める旨の仮処分を申し立てるとともに、訴えを提起したことは前記判示のとおりであり、また、<証拠略>及び弁論の全趣旨によると、原告は、平成3年7月末頃、甲田に対し、右ブロック塀建築について抗議したが、同人はこれを受け入れなかったこと、甲田は、前記仮処分申請事件において、代理人を通じ、同年12月16日付け答弁書を提出して、原告に対し、本件土地が自己所有の136番1の土地に属する旨を明確に主張したことが認められる。
以上の事実関係によると、甲田の右のような本件境界問題についての態度に照らせば、遅くとも平成3年12月16日の時点では、甲田が本件土地について自己の所有権を主張してこれを他に譲渡する意思のないことを明確に表明したものと認められるから、原告は、右時点で、本件売買の目的とされた土地の一部が甲田の所有に属し、あるいは指示された面積に不足があることのほか、売主である被告が、甲田から右不足分の土地を取得した上で原告にこれを移転するということが不能であることを知ったものと認めるのが相当である。
そして、原告が本訴を提起したのが平成8年4月19日であることは記録上明らかであるから、原告の本件代金減額請求権は、前記起算点から1年の経過をもって消滅したものといわざるを得ない。
なお、原告は、その間、甲田を相手方として別件訴訟を提起するなどして同人との間でブロック塀の撤去を求めるとともに、本件土地の帰属をめぐって争い、同年3月5日の前記上告棄却判決に至るまで右裁判が未確定の状態にあったのであるが、本件において、原告が、それとは別に、被告に対して裁判外で右代金減額請求を行い、この権利を保全しておくことには何らの支障もなかったものと考えられるから、右のように別件訴訟が係属していたことによって、前記除斥期間を起算すべき時点が左右されることはないというべきである。
そして、本件では、原告は、再抗弁として、前記1年の除斥期間内において本件代金減額請求権を行使したことを主張立証せず、かえって、<証拠略>によると、原告が被告に対して損害賠償の話をし、売主の担保責任を問う意思を表明したのはせいぜい平成7年11月10日頃のことであり、それまで、原告は、別件訴訟で勝訴するために被告の協力を得ようとしていたことが認められるのである。
(三) 以上によると、原告の本件代金減額請求権は、1年の除斥期間の経過により既に消滅したものというべきであるから、被告の前記抗弁は理由がある。
三 そうすると、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないからこれを棄却すべきである。
よって、主文のとおり判決する。
(別紙)物件目録<略>